February 24, 2009

東京バー

東京からきている学生二人と、東京バーに行ってきた。
二人とは、宿が一緒で、写真やアートの話で盛り上がって、晩ご飯を食べに行くことになった。
東京バーは佐藤可士和がディレクションを担当したバーで、日本のポップカルチャーを全面的に押し出していた。
バーなので、ご飯の量は少なかったけど、美味しかった。せっかく内装をあそこまでこったのだから、音楽もどうせなら日本のポップカルチャーを象徴する音楽にすれば良かったのになあと思った。

MoMA

昨日は午後からMoMAに行ってきた。現代美術に関して言えば、世界で一番有名な美術館かもしれない。
前回来たときには、ずらりと列が出来ていて、隣の区画まではみ出していたから入る気が失せてしまった。今回はチケットも並ばずに変えた。
新館の設計は、谷口吉生。全部で3つの建物から構成されている。
フロアも全部で6つあり、かなり広い。
それぞれ、建築、デザイン、絵画、写真などのセクションにわかれていて、どこも超一流作家の作品がすらりと並べられていた。正直な所、あまりにも作品が多すぎて、何が良かったかも覚えてない。芸術的価値として言えば、どれも最高のものばかり。でも、正直あそこまであると何がなんだかよくわからない。でも、12ドル世界の名画、名コレクションを拝めるとなると、確かに安い。
記憶に残っているのは、工場にあるような廃材で作られていたドミノのようなもの(ピタゴラスイッチみたいな)。それも、ピタゴラスイッチのようなスピードではなくて、もっとのろのろとしていて、材料も化学製品などが使われていた。そして、何よりも凄かったのは、終わりがないということ。20分間近くずっとみていたけど、一向に終わる気配を感じさせなかった。
見終わって思ったのは、やはり現代美術のほうが見ていて面白かったなということ。もちろんモネやピカソの絵も、すごいなあとは思うけど、圧倒的に知識不足な感じ。現代美術は自由に見ることが出来る。でも、絵画はどうしても、ルールみたいなものがあって、それを理解していないとダメな感じがしてしまう。
アートってどう見れば良いんだろうと考える。「またこんな意味わかんねえもんつくってやがる。アーティストってもんは...」みたいに、もっと否定的にに見ても良いのかもしれない。
とりあえず、MoMAは大きかった。
そして、カフェがシャレていた。

Guggenheim Museum

Guggenheim Museumに行ってきた。前回も来たので今回で2度目。
前回は写真中心の展覧会だったけど、今回はまた新しいものが企画されていた。今回のメインはThe third mind。アメリカの現代美術がアジアの芸術、哲学からどう影響を受けてきたのかが年代、テーマごとに展示されていた。
Guggenheim Museumの特徴と言えば、なんと言っても美術館の建築。フロアが明確に別かれているわけではなく、スロープで徐々に徐々に上に登って行くという構造。その特異な構造から、NY市が施行許可を降ろすまでに数年がかかった。スロープなので、常に床が傾いていて、観覧者に対してプレッシャーを与えるという批判もある。確かに見ていてそう感じる、それでも、この美術館はすごい。
とりあえず、美術館の隣のカフェで朝食を食べてから、入場。今回も音声解説機を持って回った。
今回の展覧会は100人以上の作家の作品が集められていて、全員がアジアの精神に影響を受けている。中にはWalter De MariaやJackson Pollockなどの作家の作品もあった。中には日本や中国で禅や書道などを本格的に学んだアーティストも多くいた。
初めに出てきたのは、The Third Mindの展覧会全体を象徴するJames Lee Byaersによるインスタレーション。豊臣秀吉の金の茶室を彷彿とさせる、キューブ。真ん中に棺桶が配置されていて、壁、床、天井には金箔でできた落ち葉が付いていた。死という存在を中心に置いて、考えるというコンセプトは日本の武士道や禅と強い繋がりを感じた。
どの作品も、死であったり、宇宙、無心、無など森羅万象を元にしていた。
書道での筆の果たす役割も興味深かった。筆で書いた線には筋肉(muscles)、骨(bornes)、新鮮さ(fresh)、血(Blood)の4つの意味があり、一筆一筆に魂が籠っている。Jackson Pollockもそこに注目し、影響を受けていた。
形を作ることに主眼を置くのではなくて、無心から生まれたもの、無心の状態での自然な筆の動きを重視した作品が多かった。

先日のオスカー賞を総嘗めにしたのは、英国製インド映画のSlumdog Millonaire。経済だけではなくて、文化面でもインドが追い上げてきていることを世界に証明した。
漫画、アニメなどポップカルチャーを世界に誇る日本。
アジア人、特に日本人として、アジアカルチャーの凄さを改めて感じさせられた展覧会だった。行って本当に良かったと思う。

February 23, 2009

NYの広告

NYに来て早速目についた広告が二つある。
前回来たときには、Microsoftの広告が良かった。
GatoradeとPepsi。どちらもメッセージとロゴを組み合わせただけのシンプルな構成。
だからこそ、フォントの力強さ、色、ロゴのバランスなどのセンスが際立ってくる。
原研哉が無印良品で主張するEmptinessとは異なる、海外特有のSimpleness。

再会

6時からNYに留学中のスノと久々の再会。高校、大学が一緒で、今はNYのFITに留学中。
6月にAPUを休学して、NYに渡って英語を勉強して、今月からFITの二部に通っている。FITはファッション専門の大学で、MITのファッションバージョンと言ったところ。
スタバで待ち合わせて、タイ料理を食べに行った。それぞれの近況と、就職活動のことなど。FITも始まったばかりだけど、楽しそう。NYは本当に刺激が多くて良いなあと改めて感じる。

陰悩録

今回泊まる宿にはまた変わった人たちがいる。
東京 下北沢からブロードウェイに公演に来ている劇団だ。
僕がホステルに到着した時点では、まだ管理人が来ておらず、宿泊している人が親切にも僕を中に入れてくれた。話してみると、どうやら劇団で公演をしにNYに来ているということだ。さらに、今日が最後の公演。ということで、話の流れで僕も行ってみることにした。公演のタイトルは、「陰悩録」。
僕が興味が合ったのは、内容よりも広報の仕方だった。劇団の人との話もそこをメインにしていたら、行く流れになった。まあ、7ドルだから良いかという軽い気持ちで。
しかし、これが大きなミスだというにこの時点ては気付かない。いや、チラシのデザインを見た時点で、少し感づいてはいた。でも、一度行くと言ったのだから、潔く行くことにした。そして、行くからには、最後まで見ようと決めた。
そして、この決断が僕に苦をもたらす。
劇場は、タイムズスクエアのど真ん中にあった。立地はかなり良い。一体いくらで借りたんだ。収容人数は30〜40人といったところ。
開演が4時からだったのでInternational Center of Photographyを出てから、New Museumに行くのを辞めて、劇場に向った。
時間があったのでスタバで、一休みしてから7ドルでチケットを購入して、劇場に入った。隣には、宿が一緒で大阪から着ているあやなさんという人。彼女も劇団員の人たちと宿が同じと言うことで来ていた。意外にも入場者は日本人がアメリカ人よりも少し多いかなというくらいだった。

公演はダンス、フォークミュージック、芝居から成る3部構成。
ダンスは、分類するとすれば、コンテンポラリーダンス。個人的には、音楽がイマイチだった。
二部のフォークソングは、60年代の日本のフォークがメイン。正直、この辺りから帰りたくてうずうずしていた。シンガーの方は頑張って英語で喋って会場とのコミュニケーションをとろうとしていた。しかし、僕には、なぜ、この公演で日本のフォークミュージックなのかが理解出来なかった。コンテンポラリーダンスの流れで、なぜ日本のフォークが来るのか。今考えてみてもよくわからない。
そして、第3部の芝居。正直な所、芝居というよりも語りに近かった。ほぼ一人でずっと喋っていた。結論から言うと、この芝居を見ている瞬間ほど、自分が日本人であることを恥じたことはない。本当に早く終わってほしかった。
内容は、下ネタ。前衛的なのかどうか。チラシには副題でContemporary Liveと書いている。僕には、下ネタの連発にしか見えなかった。芝居中、僕は直視することが出来なかった。日本人が全員こんなことだと思われてはいないだろうが、正直言って...

これを書く前までは、この場でディスるのはネチケット上よろしくないと思って控えようと思っていたが、タイプし始めると止まらない。ということで、とりあえずNYに来た際の記録として、書くことにした。

International Center of Photography

最初に行ったのは写真をメインで展示するInternational Center of Photography。
結論から言うと、予想外の収穫。
行われいていた展覧会は四つ。
Wired Beauty: Fashion Photography Now
This Is Not a Fashion Photograph
Edward Steichen: In High Fashion, The Conde Nast Years, 1923-1937
Munkacsi's Lost Archive
2フロアに渡って4つの展覧会が行われていた。
その中でもメインはWired BeautyとEdward Steichen。

入って直ぐ、ファッションフォトを展示したWired Beautyが始まる。ファッションフォトと言えば、僕にとってもっともなじみのある写真かもしれない。普通の人の2倍、3倍はファッション誌を読むので、この手の写真は他の人より馴染みがあるかもしれない。ただ、今まで、ファッションフォトをアートという視点から見たことが無かった。普段は、自分が着たい服、いいなあと思う服を探しながら眺めている分、商業的な視点に近い。この展示の狙いは、ここ2〜3年で大きく変化しているファッションフォトを展示するというもの。ファッションフォトは商業的な側面と芸術的な側面とを兼ね備えている必要がある。雑誌として、読者に商品を紹介するという役割と、その商品のコンセプトを活かし、いかに美しく写真としてフィルムに納めるのかという2つ。いかに消費者に対して、この商品は素晴しいかと伝えるために芸術性を加える。そして、その今回の展覧会は、その芸術性に視点を置いていた。キュレーターによれば、「時に、それはファッションフォトとということを、忘れさせ、幻想の世界に誘う」ということらしい。
展示されていた写真は、コンピュータグラフィックで加工されたものもあれば、ハンドライティングのイラストレーションが加えられたものもあり、勿論なにも加工されていないものあった。展示方法は、雑誌と同じく紙に写真がプリントアウトされたもの。ファッションフォトは、ほとんどの場合、その形で僕たちの目に触れている。だから、自ずと展示方法もそうなる。
ファッションフォトは、商品である洋服や靴などのアイテム、被写体となるモデル、スタイリング、ヘア・メイク、カメラマンの描写技術などが一つになったものが、ファッションフォトだと思う。
写真は、カメラマン、雑誌などによって分類されていた。
主な写真家は、Hedi Slimane、Karl Lagerfeld、NIick Night、Terry Richardsonなど僕も聞いたことがある写真家から、初めて聞く写真家までいろいろ。
個人的に気になった写真家は、Marcus Roy Hoffman。多分、SoHoのユニクロオープンの際のUNIQLO PAPERの写真はこの人だと思う。独特の淡い色使い、モデルの雰囲気がすごくいい。

This Is Not a Fashion Photographはかなり小さいコーナーだった。パーマネントコレクションからの抜粋で、写真家達がファッションフォト特有の「人工」な雰囲気ではなく、より「自然」な雰囲気を求めて撮ったものが展示されていた。

Edward Steichen: In High Fashion, The Conde Nast Years, 1923-1937は地下のメイン。写真家Edward Steichenが生涯で撮った写真を展示していた。彼が芸術としての写真を確立するまでの葛藤がメイン。彼はファッションフォトの礎を作った人物。白黒の写真がほとんどだった。1920年代から、ファッションフォトを撮っていたというのには驚いた。彼が写真を撮って、それを選ぶという過程が記録された映像もあった。もちろん無性で白黒だったけど、こうゆう過程で写真は撮られて、選ばれて行くというのがよくわかるものだった。

Munkacsi's Lost Archiveは、地下の一角にあった。この頃には疲れていたので、あまり覚えていない。

僕の中では、写真自体がなぜ芸術として成立するのかと言う疑問がずっとあった。12月にGuggenheim Museumで初めて写真の展覧会をみてからその疑問は徐々にだけど解けつつあるように思う。写真家がどうゆう思いを込めてファインダーを覗いて、シャッターを切るのかが徐々にではあるけれど、理解出来るようになってきた。もちろん、僕も普段から写真は撮る。その時は、ただ「奇麗だ」と思ったものを撮る。でも、こうゆうコマーシャリズムも表現しなければないらない写真の場合、コンセプトがあってそれをいかに表現するのかという葛藤がある。それが少しづつだけど理解出来るようになってきた気がする。

夜行バス

昨日夜、夜行バスでモントリオールを出発して、今朝NYに到着。
2ヶ月ぶりNYは、相変わらず変化の激しい街。
昨夜23時半のバスで出発したまでは良いものの、入国審査でバスの乗客が引っかかり、2時間近い足止め。おかげで午前7時着が、NYに着いたのは午前10時半。
毎度無愛想な入国審査官が、すごく人当たりの良い人だったのがせめてもの救い。

February 19, 2009

芝生=Interactive Art


面白い作品を見つけた。
Green Islandという団体が企画した芝生=Interactive Art -心を刺激するもの-
東京都内の各所のアスファルトを合成で芝生に変えてしまうというもの。
コンセプトは、アートの一つの指針として「心を刺激するもの」を挙げ、それならば芝生という存在は「心を刺激するもの」だから芝生=Interactive Artだというもの。

やっていることは至ってシンプル。だからこそ、見ていてすごく気持ち良いのかもしれない。実際に道が芝生だと、雨の人かは泥が跳ねて大変だろうなとか、車も走りにくいんだろうなとか考えてしまう。実現は不可能なのかもしれないけれど、純粋にこんな道だったらいいのになあと思う。晴れている日に外に出るのが楽しみになる。

アートディレクションで、現実には無い状態を仮想で作って、現実をそこに引っ張って行こうとする手法がある。PAOSがブリヂストンの世界戦略のアートディレクションをした時や、佐藤可士和がSOHOのユニクロのディレクションをしたときにもこうした手法を使っていた。
それに似ているなあと思う。もし、東京がこうゆう街だったらという仮想をイメージとして作り、共有することで少しづつ、仮想が実現へと向って行くのかもしれない。

似非文系人間

領事館から借りてきた東野圭吾の「あの頃ぼくらはアホでした」で、著者は大学時代の彼を似非理系人間と言っていた。
彼の言う似非理系人間とは、理系の学部には所属するが、理系分野に対する理解度は文系に所属する人たちと同じ程度という学生のこと。似非理系人間に対して、真性理系人間というものも存在し、それらの違いが歴然とするのが実験の時らしい。似非は計測器などの使い方がわからないため、触ろうとせず、真性の指示に従っているということらしい。
これを読んでいて、自分は似非文系人間だなあと思った。
文系科目に対する理解度は、理系よりはあるかもしれない。ただ、思い当たる節がある。理系で言う実験は、文系でいうグループワークに近いだろう。最近のグループワークの時の行動はまさに似非文系人間だ。間違いない。でも、似非も似非なりに生き抜く道があるのも確かだ。生き抜くために様々な手だてを尽くす。

最近は理系や文系と区別すること自体時代錯誤だということをよく耳にする。
確かに、イノベーションとは分野を跨いで起こるもの。だから、文系は文系を、理系は理系をでは新しいものは生まれない。だからこそMOTが注目される時代なんだろうと思う。高校時代に、MBAという言葉を知って、その後色々調べているうちに担任からもらった本からMOTというものの存在を知った。衝撃的だった。理系がMBAを取ればMOT。そしたら文系、特にMBAの役目がなくなって行くんじゃないかということを考えるようになった。
文系の生き残る道はあるのか?

February 18, 2009

春の訪れ

ここ最近めっきり暖かくなって−15℃を下回ることがなくなった。ここ最近の気温のおかげで雪もだいぶとけて、雪に隠れていた土も見え始めている。
何よりも、春を感じさせられるのは広告。今までじゃ、厚手のコートを羽織ったモデルが写った広告も多かったけど、町の広告も徐々に春、夏に向けてのキャンペーンが始まっていて、アパレル系だとリゾート風の服装で、半袖半ズボンなんて広告も見かけるようになった。
気候ももちろん重要な判断基準だけど、実はこうゆう広告みたいな媒体も春の訪れを告げる役割を担っている。

領事館とか

昨日はアメリカ行きの入国などの確認で領事館に行ってきた。とある複合ビルの21階にあったのだけれど、扉に国章がでかでかと付いていて荘厳な雰囲気を醸し出していた。御用のある方はインターフォンで、と書かれていたので、とりあえず内容を話して中に入れて貰った。日本領事館だから、てっきり日本語か日本語訛りの英語で話しかけられると思いきや、インターフォンから聞こえてきたのは、ネイティブなフランス語&英語だったのですこし拍子抜けした。
中に入ると、飛行場のようなかんじで身体検査と荷物検査があった。
僕の他に一組のカップルがいて、婚姻届の提出方法を聞いていた。それが長くて結局30分近く待たされた。領事館はあまり大きいとは言えないオフィスで、窓口が幾つか合って、驚いたことに、本棚にずらりと和書がならんでいた。小説から百科事典まで。
ドアの所で検査をしてくれたおじさんはケベコワで、すごくフレンドリーだった。やたらと日本語版の新聞、広報誌を薦めてきた。本棚の本も5冊までなら2週間借りられるということを教えてくれた。
前のカップルがあまりにも長いので本棚の本を眺めていたら東野圭吾を見つけたので、これは借りるしか無いと思い、他にも本を選んだ。東野圭吾の少年時代から大学時代までを綴った「あの頃の僕らはアホでした」とゲーテの詩集を借りることにした。
結局僕の相談は3分もかからずに終わってしまった。
それから、驚いたのは弓道のパンフレットがあったので持って帰ってURLにアクセスしてみると、モントリオールに弓道場があるらしいことがわかった。しかも、ギャラリーの写真を見る限り、上手い。正直あんまり期待してなかった。僕が高校のときにも、通っていた道場に外国人がいたけど、あまり上手くなかった。勿論日本人でも下手な人は多いから、それはステレオタイプなんだけど。一度足を運んでみようかな。

領事館で用を済ませてから、いとこに頼まれていたシロクマのぬいぐるみを買いにOld Portに行った。どうやら、いとこの中ではカナダ=シロクマのイメージらしく、今ハマっている漫画の中にシロクマのぬいぐるみが出てくるということで、いとこのおばさんにはいつもお世話になっているから一ヶ月ほど前から頑張って探していた。色々探してみると不細工なシロクマもいたけれど、先週ようやくこれだ!というものを見つけたので、メールで写真を送って了解をもらってので、昨日買いに行ってきた。いとこは気に入ったみたいで、有人の分も併せて二つ。おそらく、アフロのような髪型でマフィアのようなトレンチコートを着た、ぬいぐるみなんてファンシーなものとはいかにも無縁そうな男がお店に入った瞬間は店員もさぞ驚いたことだろう。

その後、図書館に行ったんだけれど、どうもシロクマのぬいぐるみの入った袋を持っていると恥ずかしい。
図書館で、領事館から借りてきた本2冊を読んだ。あの頃ぼくらはアホでしたはあっという間に読み終わってしまった。ゲーテの詩集はいまいちよくわからん。

帰ってきてからぬいぐるみを出してみると、僕の部屋には俄然合うはずもないんだけど、なんとなく癒されるので、机の上に置いてみた。そんな自分が気持ち悪いなと思うけど、案外癒されるもんだ笑

February 17, 2009

佐藤可士和

今や日本を代表する売れっ子デザイナーの佐藤可士和
僕の好きなグラフィックデザイナー「トリプル佐藤」の一人。他の二人は佐藤卓佐藤雅彦
博報堂を独立後は、広告のみにとらわれずアートディレクションや執筆など幅広く活動している。
プロフェッショナル仕事の流儀」も面白かった。直祐に教えてもらった多摩美術大学での特別講座「アートでレクターの新領域」は、総合大学に在籍していてデザインに対する情報が少ない僕に取っては、驚きの連続だった。あれが、僕の中のデザインの基礎になっているのかもと思う。
その佐藤可士和のスクリーンセーバーがダウンロード出来るようになった。カラフルなホームページのデザインとは違って、黒のバックグラウンドに白のフォントとシンプルなデザイン。New York Timesなどのニュースが、彼が今まで自らデザインしてきたフォントと連動して画面上に流れる。フォントも自分で選べ、ニュースもNew York Timesのスポーツ、アート、世界などから選べる。グラフィックデザイナーだから中村勇吾のようなダイナミックさはないけれど、彼が力を注ぎ込んできたインターフェースとしてのフォントは他のどこにもない、彼のオリジナル。そのフォントのコンセプトや背景を少しばかり知っている僕にとっては、それが画面上に流れるのはすごく気持ちが良い。

ecofont



僕らが普段使う紙を減らすころとも大切。
でも、この考えは新しい!
それなら、インクの量も減らそう!ということで開発されたのがこのecofont
開発したのはオランダのSPRANQというグラフィックデザインやウェブデザインをしているオフィス。
フォントのデザインもカッコいい。
ただ、今のままでもグレースケールの80%にしたり、ゴシックじゃなくて小塚ゴシックとか明朝を使えばそれなりにインクの量は節約できる。
要は、考えて実践するってことなんだと思う。

アナログとデジタル

MITのメディアラボの教授でタンジブル・ビットを開発した石井裕が「プロフェッショナル仕事の流儀」に出ていた。
タンジブル・ビットは石井裕の提唱するユーザ・インターフェースの形態で、形の無い情報を直接触れるようにしたもの。0と1から構成されるバーチャルとアナログとの境をより曖昧にするもの。デジタルとアナログの融合と言った感じ。セカンドライフのように実体の伴わない世界の追求ではなく、こうしてデジタルとアナログの融合を試みている人がいるということに驚いた。
彼は札幌で育っていて、札幌南高校から北大の博士を経てNTT、そして現在MIT。札幌南と聞くと、すこし身近に感じる。
NTT時代に行っていた研究が評価されてMITに招待され、39歳という若さでMIT史上最年少の教授職に就き、その後研究の成果が認められ永久教授職を手に入れた。現在はMITメディアラボの副所長。
放送を見ていたら、この人はすごく忙しそうに歩き回っていた。というか、走っていた(本人は歩いているらしい)。自分は他人よりできないから、人の2倍努力して3倍の結果を出さなければならないと言っていた。すごい信念。ハングリー精神の固まりだと思う。
アナログとデジタル。写真を撮るときにこの二つの違いを感じさせられる。アナログのフィルムカメラとデジタルカメラ。フィルムのカメラはカナダ行きの送別会でみんなにもらったHOLGAとカナダに行く前に買ったAE-1 Program、デジタルは大学1年の時に買ったSONYのCyber Shot。デジカメはもうぼろぼろだから、そろそろ新しいのが欲しいな。
デジタルで写真を撮るときに、シャッターを押す瞬間に緊張感はない。失敗すれば消せば良いし、メモリも200枚近くあるから、特に気にかけることはない。確かに、シャッターチャンスという時間的な問題はデジタルだろうとアナログだろうとかわらないが。
逆に、フィルムの場合、容量の制限は大抵の場合24枚。たまに36枚。しかも、消去することが出来ないから取り直しが聞かない。その分、シャッターを押す瞬間には緊張感がある。でも、その緊張感が気持ち良い。ファインダーを覗いて、レンズを動かして焦点を合わせて、シャッター速度を設定して、シャッターを押す。いちいち面倒だけれど、それが楽しい。そのいちいちが楽しい。それがアナログの良さ。
僕の中では、デジタルは記録用としてしか機能していない。
カメラマンの広川泰士も、デジタルは写真ではないと言っていた。あの緊張感こそが写真を撮る楽しみだと。

February 16, 2009

弓道

ふと、高校時代の弓道部のときのことを思い出した。
高校時代は弓道部だった。1年半部長を務めた。
高校3年間は自分の全てを弓道にかけたといっても過言ではない。
なぜ、弓道部だったのか?弓道部に入った理由は、一番になるため。何でも良いから一番になりたかった。弓道なら高校から始める人が殆どだからスタートラインは同じだと思った。だから努力すればその分の結果が得られると思ったからだ。小学校から野球を始めて、中学もそのまま野球部に入部した。小さい町だから保育所から中学までメンバーは殆ど同じだった。だから、野球部のメンバーも同じだった。野球は好きだったけれど、中学校の野球はあんまり好きじゃなかった。仮病を使って休んだり、スケートの練習をすると言ってしょっちゅう早退したもんだ。それでも、中2で、こつを掴んで当たり始めてからは楽しくなってきた。でも、高校で野球をするレベルではなかった。というか、中学校の時と同じ野球をしなきゃいけないかと思うと、それはもううんざりだった。
学校が始まって直ぐに同じクラスで出席番号の近かった新井と、新井と同じ中学出身の上野、それから上野と同じクラスだった西尾と一緒に弓道部に見学に行った。
結局そのときのメンバーはみんな入部した。西尾は途中で退部したけど、上野と新井は最後の高体連まで一緒に頑張った。
入部直後から、心に決めた目標があった。部長になる。
当時の僕は、一番が意味するものは部長という役職だと思った。部長になるためにはどうすれば良いかを必死に考えた。他の人よりも練習し、先輩に認められるように努力した。自分は練習出来ないが、先輩達の朝練の畳の準備や的付けをするためには4月から毎朝始発のバスで学校に行った。そして、射場に入れるようになってからも他の誰よりも練習した。夏休みは、毎日8時間くらい練習した。部活が休みの日は、食費を削ってでも道場に通った。それが認められて、2年生になった4月、合宿先の滝川で部長になった。誰の目から見ても、僕が部長になるのは明らかだったと思う。それくらい、他人に負けない絶対的な練習をしていた。
部長になって、気付いたことがある。部長は一番じゃない。考え方によっては部のトップだから一番かもしれないけど、的中から言えば、エースが一番だということに気付いた。
部長になった後、自分の信念を貫いた。練習しない人間は悪、練習する人間、自分を支持する人間は善。今更だけど、ひどかったなあと思う笑 後々少しづつ個人の家の状況や体調的な問題などを把握するようになってきて、考えも変わった。男子はひたすら練習する人ばっかりだったけど、女子は色々と複雑だった。男子と女子の間で意見の食い違いが凄く多かった。特に女子は練習量が少ないにも関わらず、入賞していいたので、男子はそれが不満だった。何度も何度もミーティングを重ねた。結局、互いの不満がゼロになることはなかったけれど、初期の頃よりは理解し合えていたと思う。
今思うと、あの頃が一番楽しかったかもしれない。全てを忘れて熱中できた。自分の全てをかけて練習した。貪欲だった。
道場に行っては色んな先生に指導を頼んだ。そのうち、榎本晃についての噂が聞こえてくるようなった。試合ではさほど入賞していたわけではなかったけど、射形には人一倍自身があった。というよりも、それを通り越して自信過剰だった笑 でも、他校の入部したての一年生が、先輩から「あの人の射を真似しなさい」と言われているのを聞いたときは凄く嬉しかった。
弓道部だった友達とは頻繁に会っている訳ではないけど、何か繋がっているなあという感覚がある。もちろんそれは一緒に過ごした時間の量もあるだろうし、密度もあるからだと思う。

February 15, 2009

Old Port

今日は昼過ぎからOld Portに建築物を見に行ってきた。天気は雲一つない快晴。気温は−10℃といったところ。風が少し強めだった。
Old Portはモントリオールの地区の中で一番好きな場所だ。銀行や市議会もあれば、教会もあり、オシャレなセレクトショップもある。建物も古典的な建物が多く、建物を見ていて歴史を感じることができる場所。Old Portにはいつも行っているセレクトショップがあるから、割と足を運んでいる方だと思う。ただ、今回の目的は建築物を見に行くといういつもとは違う目的だったので、また違って見えた。
今日のメインは、何と言ってもHabitat 67。それと、Dan S. Hanganuの設計した建築物。
出発する前に、いろいろネットで検索していると、Habitat 67の設計者Moshe SafdieMontreal Museum of Fine Artsの設計やOld Portの都市計画を担当していたことがわかった。Fine Artの美術館はすごく奇麗な建物で、誰が設計したのかと思っていたらまさかHabitat 67と同じ建築家だったとは驚き。

Old Portの歴史
Old Portはもともと商業の中心の港だったが、現在はメインの港としては使われていない。19世紀にカナダの産業革命に留まらず、北アメリカの商業の発展に大きな影響を与えた。最盛期は1950年代で、一日に数えきれないほどの貨物がこの港から出入りしていた。しかし、1967年の万博を境に流れが大きく変わる。それは、Old Portの真向かいに新しい島を作り出すことで、新しい経済効果を生もうとする動きだ。きっとこれはHabitat 67の設計者であるMoshe Safdieも大きく絡んでいるのだろう。そして、1970年代になり、Lachine運河の閉鎖やOld Portの事業の再構築など、大きな変革が行われた。1981年にOld Port of Montreal Corporationが設立され、Moshe Safdieが都市計画の担当者として選抜される。それ以降の1980年代、90年代を通してOld Portは経済の中心としてではなく、観光スポット、緑地のためのスペースとして開発が行われて行く。結果として今では、レストランや土産物屋,ギャラリーなどが軒を連ね、科学博物館やスケートリンクなども併設されている。
こう色々と調べてみると、普段は何気なく歩いていた場所も、歩くのが楽しくなる。

それから、Dan S. Hanganuが設計した建物もOld Portに二つあることがわかった。しかも、どっちも見たことはあったが、大して気にかけたことはなかった。
どちらも同じような石の壁で、モダンな建築物だった。壁は石で出来ていたけど、あまり重々しい雰囲気ではなかった。すごくシャープなイメージ。
どっちもてっぺんにアンテナらしきものがついていた。HECにはついてないけど、あれがHanganuの設計の特徴なのだろうか。

歩き回っているうちに、Place Vigerという不思議な場所にたどり着いた。みかん組の曽我部昌史設計の京都文化博物館前にあるカフェsoboroを彷彿させる、コンクリートのランドスケープだった。現在は公園のようになっているようだ。
帰ってきてから調べてみると、もともとは鉄道の駅に大きなホテルが併設されていたが、世界恐慌後の不況の影響でホテルが1935年に閉鎖され、1951年に駅も無くなったようだ。経済の中心だったOld Portが近かったため、当時は相当の賑わいだったに違いない。その後、1970年代にアーティストCharles Daudelinのランドスケープアートが建てられた。2003年には政府の発表で観光学の学校を開設すると発表があったが、2004年には、改めて緑地化することが発表されたようだ。

結局こんなかんじで、あちこちぶらぶらしていたらHabitat 67につく前にデジカメのメモリがなくなった。しかも、Habitat 67はOld Portから見ると、川を挟んで200メートルほどの所に見えているが、どうやら回り道をしなければいけなさそうだった。もう目の前の、手の届く所まで来ているのに、眺めることしかできなかった。
ということで、明日行くことにした。バスで近くまで行けそうなので、近くまではバスで行って、後は歩く。

February 14, 2009

パズルの人

京都には「ビラがパズルの人」なる人がいる。
いつも3条通りで、「ビラがパズルになっています」と言いながら行き交う人たちにパズルを配布している人だ。
3条通りは、祖母の家から四条に行くまでに大抵通るお決まりのコースなので、よく見かける。寺町、新京極じゃなくて、タイムズの前とか河原町通りのアーケードの角でよく見かけた。弟と通りかかる度に、弟が道を歩きながらその人の真似をしていた。
ふと今日、その人のことを思い出した。なぜかはわからない。
検索してみたら、ブログを見つけた。
みたところ、ただ者ではない雰囲気が漂っていたが、現在京大の修士らしい。
でも修士論文を提出したそうなので、もしかすると京都に行ってももう「ビラがパズルになっています」という声は聞けないのかもしれない。

Question

At the last of the CSR class today, we got a question from teacher.
Professor asked us, "Do you know how many apples are there inside of one seed?"
He is sort of unique instructor, I think. He always ask myself and us "Do you remember what we do now,for example today's case, 5 years from now? "
He usually finishes course one hour earlier and he says "Enjoy!".

I do not still get the answer for the question,How many apples are there in inside of one seed?.
It can be so many apples and can be few apples meaning that it really depends on how long the tree live. And climate, animals, insect, human being, and so many things would affect the apple tree and the number of apples the tree can bear in one year.
I mean I can not say the exact number because of its unpredictability.
But one thing I can say for sure is an apple seed has tremendous possibility to produce the apples.
By the way, an apple has some interesting stories.
One of them is the story about Adam and Eve.
Another story is about the discovery by Newton who inferred the existence of the gravity when he saw an apple dropping from the branch.

Apple has possibility, this is my answer I can say now.

13日の金曜日

今日は13日の金曜日。
その名に恥じない最悪の日でした。
午前のクラスはCSR。7:30起床の予定が、気付けば8:00前で授業に間に合うか間に合わないかのぎりぎり(これはラッキーだったのかもしれない)
なんせ、遅刻したらクラスの前で何か面白いことをしなきゃいけないから遅れる訳にはいかない。しかも、今日のクラスは中間試験の事前配布があったからなおさら授業を休む訳にはいかなかった。結局、無事クラスには5分前に到着して、中間試験の問題ももらえた。
ただ、ツイてなかったのは、読まなきゃ行けないケースが違っていた。しかも、そんな日に限って当てられた。
Prof: Hey, Akira. How do you think today's case? What was about it?
Me: It was about the company which is based on Quebec and is environmentally friendlily.
何かがおかしい。教授の反応がおかしかった。
瞬間的にあーやっちまったーと思った。恥ずかしかったなあ笑

それから二つ目の悲劇は、午後からのInternational Management。
授業開始後いきなりグループワーク。3人づつのグループに別れて前回の授業の内容とケースをプレゼンする。前回の内容は、とりあえずケースは提出できたものの、ほとんど覚えてない... そして、そんな中幸か不幸か、プレゼンをすることになった。しかも、プレゼンは1グループのみ。ほとんど何も喋れず仕舞。悔しかったなあ。
それから、13日の金曜日最後の決め手は授業の最後に返却された先週のケースのサマリー。コメントの最初はThis is very good.そしてbutと続き、最後にはtoo bad。too badって笑
ある意味ジェイソンより恐い笑

全てはチャンスなのかなとも思う。HECの学生は本当に優秀だと思う。オレはこっちでAPUとの差にどん底を見ているわけだ。APUじゃGood enough.でA+。こっちはGood enoughじゃtoo bad。
起死回生。

February 12, 2009

モントリオールの建築

冬休みにNYに行ったときに宿が一緒で、Dia BeaconP.S.1に連れて行ってもらった建築士の及川さんとは今でもメールで連絡を取り合っている。
さっきメールをチェックしたら返信がきていて、カナダの建築家Dan HanganuHabitat 67という集合住宅は要チェックと書かれていた。
さっそくDan Hanganuのホームページを見てみると、驚いたことに僕が通っているHEC Montrealはこの人が設計したようだ。これにはかなり驚いた。留学前に、直祐がHECのビルを見て「ポンピデゥ(Pompidou)みたいですね」と言っていたのを思い出した。モントリオールはフランスとの文化的な繋がりが非常に強い。歴史的にも、経済的にも。もともと16世紀後半からフランスからの移民がカナダ、特にケベックを支配していた。当時からカナダという名称は存在していたが、主にヌーベルフランスと呼ばれていたようだ。18世紀にイギリスとフランスとの対立が表面化したことで、当時イギリス領であったアメリカとフランス領カナダとの間で北米植民地戦争が開始された。結果としてフランスが負け、ケベックはイギリスの配下になる。結果として、現在のカナダでは英語が主要な言語として使われているが、ケベック州ではフランス系の移民が残ったため現在でも主要な公用語はフランス語だ。公式には英語とフランス語の両方が公用語になっているが、生活していてメインで使うのはやはりフランス語。例えば、スーパーに買い物に言っても、レジでの一言目はBonjour!。そこで、Hello!と言えば、向こうもこっちがフランス語は話せないのだな理解してくれて、使用言語が英語に切り替わる。
経済的にも、フランスとの結びつきは強い。現在在学しているHEC Montrealでも全学生の40%はフランスからの留学生だ。理由は、本来の学費の30%のみで、保険料を納めなくても、カナダ国民と同じ医療援助が受けられる。さらに、Air Franceの航空便もモントリオールとフランスを密接に結んでいる。
単に偶然かもしれないが、モントリオールやケベックをベースに活動している彼の作風がフランスの建築に類似しているという理由も、モントリオールの歴史的、文化的、経済的な背景を考えるとなんとなくわかるきがする。
それにしても、自分が通う学校が著名な建築家のものだとは全くしらなかった。たしかにファサードはすごく迫力がある。始めて見たときからカッコいい建築だなと思っていた。カフェテリアの吹き抜けの吹き抜けも凄く気持ちが良い。ただ、実際に使ってみて、不便なところもある。構造が結構複雑なため、学内で迷うことがある。とく3階より上の教授の研究室のあるフロアは特に複雑。それに残念なことに、メインのエントランスはあまり使われていない。学生がメインで使う入り口はメインエントランスは逆に在る小さいエントランスだ。そのエントランスの方が駅にもバス停にも近いからだ。
でも、これで学校に行くのが楽しみが増えた。


及川さんが教えてくれた要チェックな建築物は、Habitat 67。1967年に開催されたモントリオール万博の際の関係者のための住宅として立てられたもので、1976に開催されたモントリオール五輪の際の選手の滞在場所としても使用され、現在は集合住宅として使用されている。設計は名門McGill大学出身のMoche Safdie。北アメリカの東海岸を中心に世界各国で活動している建築家のようだ。
これは何度か見たことがある。
一番最初に見たのは、到着後3日目に同じ部屋に宿泊していた韓国からの留学生のYoungとJihoonとモントリオール観光に出かけたときだ。オールドポートをぶらぶら歩いているとすごい形の建物が遠くに見えるなと話していたら、Youngがあれは集合住宅で、お金持ちが住んでいると教えてくれた。裕福な人たちが住んでいるかはわからないが、あそに住む人たちは変わり者ということは間違いないだろう。すごくインパクトの強い建物だったので、モントリオールにいるうちに一度は行ってみようと思ったのを覚えている。
二度目は交換留学の学生のウェルカミングウィークのイベントでラフティングに行ったときだ。ラフティングはオールドポートを出発してモントリオール沿いに船を進めていった。そのときに、見たのが二度目だ。今度は海の上から見ていたから無駄な障害物がなく、その建物の全容を見ることができた。二度目もそのインパクトは凄く大きかった。ダークグレーのキューブがランダムに積み上られて全体を構成する姿は、驚きとともになぜだか恐怖感を感じた。
1967年のモントリオール万博は、カナダ建国100年の記念として開催され、立体映像や環境演出によるテーマの追求が見られた。現在でもモントリオールでは8月末から、映画祭が行われているのは、この影響だろう。万博の際の、建物としては、バックミンスター・フラー(Buckminster Fuller)の設計したジオデシックドームを見に行ったことがある。あれも凄い迫力だった。内側に吸い込まれて行きそうな球体。現在は環境の博物館になっている。
二度目にみてから、何度かオールドポートに足を運んではいるが、未だにHabita67には行けていない。帰国までには必ず行こう。今週は暖かいみたいだから、週末にでも行ってこようか。

春の訪れ

2月に入って10日ちょっとが過ぎた。日本でも旧暦上での立春は毎年2月4日ごろ。
今日のモントリオールの気温は驚くほど暖かった。最高気温は8℃、最低気温が−1℃。2週間前までは−28℃の日もあったくらいなのに。信じられない、この暖かさ。
学校に向うときに、外に出たら春の日差しと春の匂いがした。と、こんなことを毎シーズン言う度に「お前は詩人か」ツッコまれ続けてきた。学校からの帰りは、雨が降っていた。雨のおかげで雪がかなり溶けたのは良いけれど、道路がべちゃべちゃで困る。
春の訪れと言えば、桜。でも、今年の桜はお預けになりそう。

Google Chrome

Google ChromeのCMが面白い。
Google Chromeのロゴが動いて、どんどんブロックを消して行くというブロック崩しを彷彿とさせる映像。
コンセプトは「シンプルネス」だと思う。
余計なものを全部取り除くとこうなりましたという提案。
ごちゃごちゃしている最初の状態と見違えるほどシンプルな最後の状態。
なんでもかんでもデフォルトで設定されているYahoo!と全てを排したシンプルなGoogle。
映像を見ていてそんな対比を彷彿とさせた。
GoogleでもiGoogleを使えばニュースや天気、今日は何の日、痛いニュースまで幅広くオプションで追加出来るが、基本はロゴと検索のみ。
もし、他のオプションが欲しければ、勝手に追加して下さいという姿勢。でも、バックにはYoutubeを始め多大な情報が整理されている。

僕はもともとYahoo!ユーザー。今でもメインのメールはYahoo!メール。2年前にMacを買ったのをきっかけにブラウザもGoogleに変えた。特にYahoo!が嫌だったわけではない。むしろ、Yahoo!メールを使っているからYahoo!の方が都合が良かった。
Googleに乗り換えた理由は、影響を受けた先輩たちは、なぜかGoogleを使っていたからだ。あえて付け加えるとすれば、Googleのシンプルなデザインが良かったのと、Googleのロゴのカラフルな感じが好きだったからだ。
乗り換えた直後はメールチェックでいちいちYahoo!を開かなければならなくて不便した覚えがある。
当時から、Googleのビジネスが注目されていたことは知っていたけれど、一体何が革新的なのか、僕にはわからなかった。当時知っていたのは、Yahoo!の検索エンジンも一時期はGoogleが提供していたということぐらい。

Googleの社風はすごく面白いなと思う。かなりフリーな雰囲気。バランスボールだったり、ビリヤードだったりユニーク。社員食堂もかなり充実しているようだし。何事も革新的な企業。きっと今後も驚くべき革新を起こしていくんだろうな。

February 11, 2009

神戸芸術工科大学"青木淳と建築を考える"

神戸芸術工科大学"青木淳と建築を考える"最終講評会
青木淳と言えば、LVの名古屋の店舗の設計を皮切りに、NYや香港のLVの店舗の設計を行った建築家。出身は東大で、磯崎新アトリエ出身。日本でも指折りの建築家。
青木淳の講評会は、普通の講評会とは違ったようだ。
講評会と言われれば、多摩美術大学での佐藤可士和の「アートディレクターの新領域」という講義の中で行われていた講評会を思い出す。学生がプレゼンし、プロが作品に対してダメだしして行くというもの。
しかし、青木淳の講評会は少し変わっている。学生と青木淳の対話。
すごく面白そう。建設的な想像の場という感じ。対話によって、設計した学生すら気付かなかった提案を探り出して行く。

仙台メディアテークと言えば伊藤豊男の設計の複合メディアビル。照明は面出薫が担当した。
伊藤豊男曰く、近年の彼の建築は、20世紀の建築に頻繁に見られるユークリッド幾何学的な線ではなく、非ユークリッド幾何学の線を実践しようとしている。
仙台メディアテークもその実践の一つ。
シンガポールに行ったときに、Vivo Cityという伊藤豊男設計のショッピングセンターに行ったことがある。その当時は建築には、全く興味がなかったが、ファサードも内装もすごく印象的なデザインだったことを覚えている。それは、今まで見てきた直線的な建築とは異なり、ぐにゃぐにゃとした有機的な線で構築されていた。その建築物の何もかもが。
今まで歩いたいたショッピングセンターは碁盤の目のように各ブロックに店舗が入っていたが、Vivo cityは、構造が非常に複雑で、歩いていると今までに感じたことのない不思議な感覚だった。

隈研吾の負ける建築の観点から言えば、この非ユークリッド幾何学を応用した建物は、周囲の環境から浮いてしまい、環境に勝っているということになるのだろうか。
どちらにしろ、東大出身の建築家たちは、自ら理論を打ち立て、それを実践していく傾向があるのは確かだろう。

February 10, 2009

インド

今週こそ金曜日提出のサマリーを木曜日に苦しまなくて良いように、今日から取りかかることにした。

テキストはThomas FriedmanのThe world is flatとPankaj GhemawatのRedefining global strategy。
でも、毎回の課題は後者ばかりでいつまでたっても前者を読み進められない。まあ、自分で勝手に読めって話なんだけど。趣味でやってるうちは楽しいのに、それが授業に関係してくると一気にやる気が失せることが多い。
GhemawatはFriedmanのThe world is flatに対してThe world is not flatという表題の記事を書いたことでも有名。アンチグローバリストである彼の主張としては、グローバリゼーションが確実に進展していることは確実だが、世界は未だにフラットではなく、様々なDistanceが国と国との間に存在しているというもの。
Distanceは彼が文中で頻繁にフレームワークとして用いるCAGEモデルの中に存在する。文化的なもの(Cultural)、行政的なもの(Administrative)、地理的なもの(Geographic)、そして経済的なもの(Economical)。
企業はこのCAGEモデルの各国間のdistanceを考慮した上で、戦略を立てて実行して行くことで、利益を上げることがきるというもの。その戦略自体もAAA(Adaptation/Aggregation/Arbitrage)に沿って実行される。

今回の範囲はAAAの最後のAのArbitrage。
毎回読むたびに驚くのは、ケースにしょっちゅう日本企業が登場すること。前回はTOYOTA 、今回はBenihana。授業中にもキッコーマンがよく登場する。すんげーな。国別でいうとアメリカ企業の次に出てくるのは日本企業だと思う。
それで、今回はインドの企業がよく登場した。Arbitrageという戦略それ自体が、労働賃金の安い中国での生産やインドのコールセンターといったものっていうのが大きな理由。
IT系のみじゃなくて、製薬系の企業もインドはすごい。土地的にもITの恩恵を受けて海外の手術をリアルタイムで手伝ったり、人口が多い分患者も多いから、そこで販売前の薬品の最終チェックをしたり。
すごいなー。ほんと。
Freidmanの本もインドのInfoisのインタービューから本が始まる。
インドすげー。
中国とインドはグローバリゼーションの寵児。

February 9, 2009

月曜日

月曜日はオフ。
図書館も美術館も休館日。授業もないので、決まって部屋に引きこもる。

昨日図書館のカフェで昼食を食べていたら、後ろの席の人たちがアートの話をしているのが聞こえてきた。
見たところ学生で、横を通ったときにアート系の本を開いて話し合っていたので、おっ!と思った。
メディア・アートの授業の課題の作品を考えていたようだ。
コンセプトは、「年代」(generation)らしい。90年代に生まれた人とか80年代に生まれた人がどうのこうのと言ってた。それと、テクノロジーという単語が頻繁に出ていたので、どうやらジェネレーションとテクノロジーの関係性のことらしい。
それから、どのメディアで表現するのかを話していた。

こう書き出してみると、意外と聞き耳を立てていたんだなあと思う笑
片方の学生は先週の日曜日にもカフェでアート系の雑誌を読んでいたので顔を覚えてる。それに、なんだか日本人か韓国人っぽい。
貴重な場面に立ち会えたなあと思う。

February 8, 2009

18

7日は弟の誕生だった。18歳になった。これでようやく親も一安心なんじゃないかな。11年前の1998年の2月7日は長野オリンピックの開会式だった。土曜日に授業があり、学校が終わってから母親が図書館に連れて行ってくれた。図書館では大きなスクリーンで開会式を放送していた。確か部屋にはうちの家族しかいなかったような気がする。あれから11年。
弟も高校を卒業。法学部に進学。僕がまだ高校に入る前で実家にいたころ、弟は行列のできる法律相談所やザ・ジャッジの本を買ってきては読んでいた記憶がある。一度はAPUにしようとしたもの、最終的には法学部に落ち着いたようだ。
小さいときいは本当によく喧嘩をして、親もかなり頭を悩ませていた。
今からじゃ想像もできないなあ。

Van Dongen

今日の朝は早かった。アファンが札幌に行くのでスカイプでアドバイス。なんだかんだで気付くと3時間半も喋っていた。アファンの日本語は凄く上達していた。しかし、就職活動はサッパリ。そして、またもやJ田S一朗がやってくれた。

図書館に行ってから、美術館に抽象画家Van Dongenの展覧会を見に行った。
ウォーホルの展覧会が終わって、すぐにこの展覧会が始まった。2週間くらい前からだろう。
ウォーホルの展覧会も、最終的には二回見に行くことができた。作品と音楽のつながりが強調されたキュレーションだった。それは二回見てとても強く感じた。彼の生き方は音楽から大きな影響を受けている。それが作品にも大きく影響している。大学時代のオペラからNYでのクラブまで。展覧会を見るまでは、単にいかにもポップアートらしいカラフルな色使いとウォーホル自身のセレブな感じが好きだった。見終わってみて、改めて作品とその背景にあるもの、コンセプトを考えさせられた。
あれだけ大きな展覧会は六本木クロッシング以来。とは言っても、そもそも美術館自体それほど行っている訳でもないが。基本的に今まで行った美術館や展覧会は現代美術が多い。絵画のみの展覧会に行くのは今回が初めてだと思う。

オランダ生まれで、最終的にフランス国籍を獲得したVan Dongenの作風は広告の作風とは異なるものも多かったが、色使いなどは僕の好みだった。初期の作品は基本的には白と黒のみの作品で、オランダの港町の模様とそこで生きる人々が、粗い紙の上に力強い線で描かれていた。当時その港町は、多くの船乗りやヨーロッパ各地からの移民に留まらず、世界中からの人々で溢れ返っていた。Van Dongenに取っては楽園のような場所だったらしい。そこで生きる人々を、太く力強い線で荒い紙の上に表現したのが初期の作品だ。

そして、イラストレーターとしても仕事を始めた時期の作品は労働階級の人々を、同じように太い線で描いていた。また、風景がも描くようになる。この頃から徐々にカラフルな作品が増え始める。絵の具を直接キャンバスに押しつけている油絵の作品が目立つようになる。

次は女性のポートレートを書き始め、ピカソとも交遊を持つ時期の作品だ。この時期の初期の作品は、賛否両論あったようだ。キャンバスの中で被写体が生き生きと動いている感じだった。きっと構成、色使い、線などの影響なのだと思う。個人的には、この時期の作品が一番好きだ。いかにもハッピーなオーラが漂ってくる花を描いた絵画が二枚あった。作品の前に立っていると、キャンバスから色が洪水のように溢れ出てくるような感覚がたまらなかった。
町中に配されるこの展覧会のポスターにも使用されている絵画はこの時期のものだった。この時期以降は、女性を描いたポートレートがメインで展示されていた。
また絵画のみではなく、陶器も展示されていた。

次のセクションは、Van Dongenがモロッコ、エジプトに渡った際の絵画がメインだった。これ以降色使いに深みが出た感じがした。被写体の女性も少し雰囲気が変わり、色使いも変化したせいか、前の時期とはことなる雰囲気だった。ミステリアスな雰囲気もあった。

この辺りになると、歩きっぱなしで足が疲れて集中して作品を見られなくなった。このセクションは説明も読んでいないので、なにがキュレーションのメインだったのはわからないが、フェリーの前にいる男性を描いたポートレートが印象的。

最後の部屋は、作品は殆どなく、Van Dongenの生い立ちが年表と写真で記してあった。ヒゲを蓄えたかっこいいかんじのおじいさんだった。ここの部屋に飾られていた絵画は、凄く奇麗な色使いの公園と小麦畑を描いた風景のものだった。

抽象絵画は抵抗があった。というか今でもある。現代アートににしても、そうだけど「美」という感覚は難しいなと思う。美術は、感じ方はそれぞれの人次第、とはよく言うが、現代アートや抽象絵画はどこが素晴しいのか全く理解できないことがよくある。事実、今まで美術館に通っていたのもアートかぶれで、アートに関わっていることがカッコいいという考えに基づいていたところがある。純粋に作品に興味があるわけではないことも多い。
僕の中での美は、絵画では印象派が生まれる前の、写実主義辺り。美というか、これは凄い技法!よく描けてるなあという感じ。
抽象芸術に価値を感じられない原因の一つとして、一つの作品に信じられない値がついているが、僕の中で、その絵画がその価値に見合うものだ、と理解出来ないという状態が在ると思う。なぜ、これにこんな値段が!と僕の中での尺度で絵画の美しさと値段が全く釣り合わない。それで、僕は自分の中で、抽象芸術は「よくわからないもの」というレッテルを貼る。そして美術館で抽象画を見るときには、この絵画がここに在るということは「よくわからないけど」きっと高額で価値のある作品だという、認識をもって見る。結局、これは価値の尺度としてのお金に自分の感性が影響されているすごくつまらない見方なのかもしれない。
地中美術館に行ったとき、モネの睡蓮の作品を見た。勿論きれいだなとは思ったが、特にこれと言って特別な感情は生まれなかった。ただ、この美術館にあるってことは相当有名なんだろうなという程度で終わった。

でも、歴史を見ると面白いなと思うことがいくつか合った。抽象絵画の起源は、19世紀後半。科学技術の進歩で写真が登場し、写実主義であった絵画が必要なくなる。そして絵画は独自の道を選ぶことになる。こうゆう歴史を見ると、なるほどと理解出来るようになる。少し知っているだけど、絵画の見え方も変わってくるというのは凄く面白いなと思う。

February 6, 2009

発狂

毎週木曜日の夜は気が狂いそうになる。
インターナショナル・マネジメントの課題がその原因。
毎週のレジュメは、さすがにキツい。とは言っても、計画的にやらずいつも木曜日の昼過ぎから始めるオレが悪いのだけれど笑
ただ、ハードカバーが70ページとケースが20ページってのはなかなかヘビー。
加えて、金曜一限のCSRのリーディングもある。
発狂しない訳が無い。
結局今日も、ようやく全部読み終わって、これからサマリーを書く。
きっと寝られない...

寒さが本格化する2月。北海道は日曜日から雪祭り。
そろそろミッドターム・ブレークの予定を具体的に考えはじめないといけない。
きっとオタワとトロントでまる一週間になるだろうな。
NYは金土日月火を利用して行ってこよう。行きたい所は山ほどある。ジンミさんに会いにバンクーバーにも行きたい。ボストン、シカゴもモントリオールに居るうちに行っておきたい。
なんだかんだで残り3ヶ月切っているから計画的に時間を使っていないと、後々後悔してしまうことになる。

さて、サマリーに取りかかろう。

February 1, 2009

西沢立衛


1月27日の爆問学問は建築家の西沢立衛。SANAAで妹島和世とコンビを組み、世界の有名都市で次々と建築物を設計している、新進気鋭の建築家。
そう言えば、昨日見た長谷川祐子のデザイン特講でもメインで取り上げられたっけ。
西沢立衛、SANAAの建築は写真でしかみたことがない。どうやらモダニズムらしい。
爆笑問題が、お宅拝見のようなかんじで彼の設計した集合住宅を訪問する。第一印象は、まさにイマっぽい。見たところ、一般住居にも関わらず壁がほとんどガラス張りで、外からも内側が丸見え、逆もしかり。カーテンで遮断することで、プライバシーを保護。奇抜、独創的、型破り。それこそ、新進気鋭たる所以だろう。
しかし、僕はあまり住みたいとは思わない。美術館とか、公共のものがガラス張りでオープンなのは良いと思う。でも、私生活まで外に対してさらけ出すのは...
というのは古い考え方で、西沢立衛の建築はそこを覆したからこそ、新しいのではあるけど。
建築。モダニズム。環境。
機能主義のモダニズム建築。
最近は、隈研吾の「負ける」概念に代表される周囲の環境との関係性の中での建築が主流なのだろうか。たしかに、その都市、町のなかでの建物の役割はすごく大きい。個人の生活に対してどれだけ機能的且つ便利であるのかという点と、町全体を構成する環境の一つの物体として見たときの二つの機能を兼ね備える住宅。
コルビジェの「建築は住む機械である」という言葉に流れを汲むモダニズム。
それに対する反動として起きたポストモダニズム。
今という時代の建築は、より周囲の環境との関係性を追求されているのだろうか?
これは、個人的に調べる今後の課題になりそう。
コルビジェやフランク・ロイド・ライトがいて、バウハウスがあった19世紀後半から20世紀前半。モダニズムという概念が生み出された。
フィリップ・スタルクやフランク・O・ゲーリー、レム・コールハース、安藤忠雄や隈研吾、坂茂がいる21世紀。今も建築家、デザイナー、アーティスト、技術者などが互いに影響を与え合い、新たな概念が刻々と作り上がられている。
そして、今このときも、将来の隈研吾や原研哉、スタルクのような、次世代を担う存在も、日本のどこか、世界のどこかにいるわけだ。


ちなみに、番組を見ていて気になったのは、爆笑問題の太田だ。
太田は建築家に媚びず、自分の意見をバシバシと言っていた。それはすごいことだと思う。専門家の前でも、相手をよいしょしすぎずに、率直に意見を言う。否定もされていた。でも、否定を恐れない。だからこそ、鋭い意見が言える。

プロフェッショナル

今日は昼前に起きて、午後から図書館に行ってきた。
相変わらず、学校の課題には手を付けず、現実逃避している。
去年の今頃必死に読んでいたParadox of ChoiceとRichard FloridaのCreative Cityがたまたま同じ列の本棚に合ったので、2日続けて読んだ。
Paradox of Choiceは去年に一度全部呼んでいるので、ついつい去年の自分の英語の読解力と比較しつつ読んでしまう。去年に比べて内容が理解できるようになった上に、読むスピードもかなり上がった。一年という間で、自分の中に起きた変化、成長を感じた。やはり、一年というのは大きい。一年という時間の経過よりも、その時間の中でどれだけのことをしてきたかということの証だろう。
逆に、さっきTOEFLのグラマーの対策問題集をかなり久々に開いて、Exerciseの問題を解いてみたが、38問中25問の正答率。これにはガッカリ。もう少し出来てるかとも思ったけど、これはあまり変化が無い。去年の今頃と比較すると、理解出来ているだろうけど、「カナダに留学した」というレベルにはまだまだ不足。帰国後のTOEFLでは580点くらいは取れるようにしたいな。福田さんにしろ、マサさんにしろみんな就職活動前にTOEICは900点を越えていた。オレもそこはクリアしたいなあ。900点ってかなりの大台だけど。

図書館から帰ってきてから、プロフェッショナルをYou-Tubeで見た。キュレーター長谷川祐子、茶師前田文男、すし職人小野次郎、農家古野隆雄、校長荒瀬克己、技術者渡辺誠一郎。
アート、クリエイター系は殆ど見てしまったので、色んな分野の人を見てみた。
どの人たちもすごい。仕事に命掛けてる。覚悟決まってる。
でも、飽くまで映像は、編集されたものという否定的な視点も忘れてはいけないとは思う。ただ、やっぱりどの人たちも仕事を苦しみながらも楽しみつつ、ちゃんとした結果を出している。そこがプロ。
農家古野隆雄の特集を見ていて、農家も悪くないのかなと思った。農家を継ぐにしろ継がないにしろ、卒業前に一度数ヶ月実家の手伝いをして、農家の仕事をもう一回把握し直す必要があるなと感じた。
クリエイターみたいな華やか(現実は相当泥臭いんだろうけど)に見える仕事も良いと思う。でも、農家みたいな華やかさの全くない仕事も良いかなと思うのは、実家が酪農だからだろうか?
高校で札幌に出て、絶対に農家は継がないと決めたはずなのに、今ここでこうして農家というものを再考しているというのもおかしな話だけど。

今日は日本時間では、母校の卒業式。
遂に一番下の弟が高校を卒業した。きっと母親もほっとしたことだろう。結局兄弟3人とも立命館を出ることになるとは、全く想像もしていなかった。
3年前の今日、自分も高校を卒業したのかと考えると3年という月日の流れは早いなと感じる。吹奏楽部の演奏する威風堂々が体育館に響き渡る中、一番最後の生徒として入場した。今でも威風堂々を聞くと、あのときのことを思い出す。
3年前の今頃は丁度母親と喧嘩をしていた。それでも、母親はちゃんと卒業式に来てくれた。
2月1日といえば、寮に帰ってから真平の誕生日パーティをするために真平の部屋にいつものメンバーで集まって、ケーキを食べつつ、卒業アルバムにメッセージを書き合った。
あれから3年。
あの頃の自分はまだまだ未熟だったなと思う。
きっと3年後も、同じようなことを考えているんだろうな。
でも、それは確実に成長した証拠だと思う。
現実逃避して、嫌なこと、面倒くさいことは後回し。これは相変わらず変わってないけど、確かに成長はしている。奢らず、もっと真摯に自分を見つめて、行動出来れば。
Take it easy.