ふと、高校時代の弓道部のときのことを思い出した。
高校時代は弓道部だった。1年半部長を務めた。高校3年間は自分の全てを弓道にかけたといっても過言ではない。
なぜ、弓道部だったのか?弓道部に入った理由は、一番になるため。何でも良いから一番になりたかった。弓道なら高校から始める人が殆どだからスタートラインは同じだと思った。だから努力すればその分の結果が得られると思ったからだ。小学校から野球を始めて、中学もそのまま野球部に入部した。小さい町だから保育所から中学までメンバーは殆ど同じだった。だから、野球部のメンバーも同じだった。野球は好きだったけれど、中学校の野球はあんまり好きじゃなかった。仮病を使って休んだり、スケートの練習をすると言ってしょっちゅう早退したもんだ。それでも、中2で、こつを掴んで当たり始めてからは楽しくなってきた。でも、高校で野球をするレベルではなかった。というか、中学校の時と同じ野球をしなきゃいけないかと思うと、それはもううんざりだった。
学校が始まって直ぐに同じクラスで出席番号の近かった新井と、新井と同じ中学出身の上野、それから上野と同じクラスだった西尾と一緒に弓道部に見学に行った。
結局そのときのメンバーはみんな入部した。西尾は途中で退部したけど、上野と新井は最後の高体連まで一緒に頑張った。
入部直後から、心に決めた目標があった。部長になる。
当時の僕は、一番が意味するものは部長という役職だと思った。部長になるためにはどうすれば良いかを必死に考えた。他の人よりも練習し、先輩に認められるように努力した。自分は練習出来ないが、先輩達の朝練の畳の準備や的付けをするためには4月から毎朝始発のバスで学校に行った。そして、射場に入れるようになってからも他の誰よりも練習した。夏休みは、毎日8時間くらい練習した。部活が休みの日は、食費を削ってでも道場に通った。それが認められて、2年生になった4月、合宿先の滝川で部長になった。誰の目から見ても、僕が部長になるのは明らかだったと思う。それくらい、他人に負けない絶対的な練習をしていた。
部長になって、気付いたことがある。部長は一番じゃない。考え方によっては部のトップだから一番かもしれないけど、的中から言えば、エースが一番だということに気付いた。
部長になった後、自分の信念を貫いた。練習しない人間は悪、練習する人間、自分を支持する人間は善。今更だけど、ひどかったなあと思う笑 後々少しづつ個人の家の状況や体調的な問題などを把握するようになってきて、考えも変わった。男子はひたすら練習する人ばっかりだったけど、女子は色々と複雑だった。男子と女子の間で意見の食い違いが凄く多かった。特に女子は練習量が少ないにも関わらず、入賞していいたので、男子はそれが不満だった。何度も何度もミーティングを重ねた。結局、互いの不満がゼロになることはなかったけれど、初期の頃よりは理解し合えていたと思う。
今思うと、あの頃が一番楽しかったかもしれない。全てを忘れて熱中できた。自分の全てをかけて練習した。貪欲だった。
道場に行っては色んな先生に指導を頼んだ。そのうち、榎本晃についての噂が聞こえてくるようなった。試合ではさほど入賞していたわけではなかったけど、射形には人一倍自身があった。というよりも、それを通り越して自信過剰だった笑 でも、他校の入部したての一年生が、先輩から「あの人の射を真似しなさい」と言われているのを聞いたときは凄く嬉しかった。
弓道部だった友達とは頻繁に会っている訳ではないけど、何か繋がっているなあという感覚がある。もちろんそれは一緒に過ごした時間の量もあるだろうし、密度もあるからだと思う。
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